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龍禅寺町の紹介

沿革

龍禅寺町は初め市場村と称し、後ち寺島八幡地と改称、千手観世音を本尊とする世州高野山直末の古さつ真言宗龍禅寺が古くからあるので、1572年から附近一帯を龍禅寺と称え、1772~1829年にかけてはさらに広範囲に龍禅寺と呼ばれた。当時は砂山町十字路、旧静岡銀行砂山支店前から仁王門までが表参道、又国道松江町十字路以南は裏参道であった。
 遠江風土記伝に「龍禅寺真言宗在龍禅寺、称旧市場村、寺田百石」同寺記には、「此寺806年聖徳太子創建、自海中仏像出現、有寺中十坊、而守護七堂、有火災旧記焼失Jとあり、今から約1200年前から祀られたものである。聖武天皇勅願所、のち、坂上田村磨麿東征の心願成就により七堂がらんを寄進、徳川家康以来代々の祈願所として、明治維新まで百石の朱印が附せられた。
 近衛関白藤原晴嗣は、後水尾天皇の恩ろうを蒙り、世に東永院龍山公と称え、当時勢威並ぶ者がなかったが、1615年中病気治療のため上野国草津に赴いて京都に帰る途中、この龍禅寺護摩堂前の中庭に亭を建て一年余り留っていた。その亭はさして宏大ではなかったが、華麗を極めたという。徳川秀忠の姫君和子は入内して、後水尾天皇の中宮となられたが、龍山公は、浜松から和子姫上洛の行列に加わった。残亭跡の南に松永か堂の「浮世には遠し花にも閑古鳥」の句碑が今でも残っている。
 世俗に龍禅寺の生き観音、鴨江寺の死に観音といわれ、鴨江観音は春秋の彼岸に死んだ人を供養する参詣人で賑わい、龍禅寺観音は、生き観音と称えあらたかな御利益があるというので、 常時参詣人が引きも切らず往昔はなかなか繁昌したものだった。
 龍禅寺の釣鐘は、1814年2月製作され、全国でも有名なもので重さ1.34トン、存在201年、曾って大戦中1942年12月8日戦時物資応召として、国難に殉じ供出したるも終戦となりてのちも残してあったので又元の所へもって来たものである。
 井上藩士堀川鼠来は、早馬の組屋敷に生れ、能筆で俳句をよくし明け暮れ世の中に頓着せず夏は丸裸で過した変人だが、晩年龍禅寺の門前に移住「窓打つや秋を定むる夜の雨Jと辞世の句を残す。(浜松風土記より)
 当町の歴史は最も古く龍禅寺観音の初めて祭祀された約1200年前よりあったものと思われる。1904年12月浜松市に編入幾多の変遷を経て殊に大東亜戦争末期1945年4月、6月の空襲により観音堂をはじめ町内全体が灰じんに帰したが、遂年繁栄を極め今や戸数1千数百戸を算するに至った。

「龍禅寺町自治会」のおはなし

「龍禅寺町自治会」のおはなし(PDF:8.1MB)

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